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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)12036号 判決

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 島田浩孝

同 細田初男

被告 学校法人 大東文化学園

右代表者理事 鈴木武夫

右訴訟代理人弁護士 柴田政雄

同 浅田千秋

同 鹿児嶋康雄

同 平出晋一

右柴田政雄訴訟復代理人弁護士 山口宏

主文

一  被告は、原告に対し、金三一万四六〇四円を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告との間に雇用契約上の地位を有することを確認する。

2  被告は、原告に対し、昭和五七年四月一日以降本案判決確定に至るまで、毎月二五日限り金三一万四六〇四円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  原告の主張

1  (雇用契約の成立)

(一) 被告学園は、学校その他の教育及び研究施設を設置することを目的とする学校法人である。

(二) 原告は、昭和四七年一〇月一日、被告学園に雇用され、管理部管理二課に勤務し、その後各課長等を経験し、昭和五六年五月一一日財務部管財課長から就職部渉外課長に配置替えとなり、昭和五七年三月三一日当時、同職にあった。

2  (争いの存在)

被告学園は、原告を解雇した旨主張して原告の従業員たる地位を争い、昭和五七年四月一日以降賃金を支払わない。

3  (原告の賃金)

原告は、昭和五七年三月現在、被告学園から毎月二五日に三一万四六〇四円の賃金を給付されていた。

4  よって、原告は、被告学園に対し、原被告間に雇用関係が存在することの確認及び昭和五七年四月一日以降本案判決確定まで毎月三一万四六〇四円の賃金の支払を求める。

二  原告の主張に対する認否及び被告の主張

1  原告の主張1及び2の事実は認め、同3の事実は明らかに争わない。

2  被告の主張(本件解雇とその理由)

被告学園は、原告に次のような言動があったため、原告を解雇する以外に被告学園の秩序を維持するために残された手段がなくなり、本件解雇に及んだものである。すなわち、原告の右言動は、本来懲戒解雇事由に該当したが、被告学園は、原告の将来を考慮し、被告学園の職員解任事由である職員任免規則二四条八号の「学園の都合によりやむを得ないとき」にも該当するものとして、原告を普通解雇にしたのである。

(一) 昭和五六年五月ころから一一月ころにかけ、被告学園の内外において、被告学園の一部理事を中傷、誹謗する文書(以下「怪文書」という。)が、多数配付されたため、同年一一月一六日、鈴木理事長は、事務連絡会議(学園業務の趣旨や執行方針についての説明、打合せ等を目的として行われる課長以上の管理職による会議)の席上で、怪文書の問題に触れ、「最近、学園内外に学園の秩序を混乱させるような学長、理事を中傷、誹謗するような文書が配付されていることは遺憾である。かかる行為者に対しては、判明次第、学園の綱紀粛正上しかるべき処置をとる。学園職員の中にはそのような人がいるとは考えたくないが、もしいるとすれば今後慎んでいただきたい。」旨要望した。理事長が述べたこの綱紀粛正の件は、その後、同年一一月一八日の理事会においても確認された。

原告は、右の鈴木理事長の要望に対して、同年一二月七日の事務連絡会議の席上で発言を求め、「鈴木理事長は、あたかもヤクザが居直った顔つきで、綱紀粛正だとかいろいろ言っているが、他にもやっている者がいる。その綱紀粛正をどうするのか。」と不穏当な発言をした。

(二) 原告は、同月一八日、鏡就職部長から、池田学長が不穏当発言の取消しを要求していることを伝えられ、反省を求められたが、これを拒否したうえ、同月二一日、自己の不穏当発言も絡めて、綱紀粛正問題を同日行われる事務連絡会議で取り上げて欲しい旨を、同会議の司会を務めている辻野総務課長に申し入れた。同課長は、事務連絡会議において、原告の右申入れを取り上げるかどうか諮ったが、会議内容とは直接関係ないとの判断から、取り上げることに賛成する者は一人もなかった。

しかるに、原告は、なお発言を求めて、「前回の事務連絡会議では言い足りなかった。学長は何でも発言しなさいと言っておきながら、発言すると揚げ足を取るのは汚いやり方だ。池田学長は数の力で学長になった。池田学長は、自主、民主、独立といったことをよく言うが、これは共産党の発想だ。最近改めて調べてみると、鈴木理事長はヤクザとのかかわり合いもある。」などと述べ、池田学長及び鈴木理事長を中傷、誹謗した。

(三) その後、池田学長から再度、原告に反省を促してその結果を報告すること、原告が反省しないときにはその事情を顛末書にして報告するよう指示された吉田学務局長が、昭和五七年一月二五日、鏡就職部長とともに、原告に池田学長の意向を伝え、原告を諭し、反省を求めたところ、原告は、これを拒否して毫も反省の色を見せないばかりか、逆に「吉田局長や鏡部長を責めて私に謝らせようとしないで、直接常務審議会に呼んで弾劾すればよいではないか。私にも覚悟があり、学園内の学長や一部理事の不正行為を司直の手に委ねて暴露する。今では、それがむしろ私の願望である。」旨述べて、学園を威迫する始末であった。

さらに、同月二六日、吉田学務局長らが、前日同様、原告を説得し反省を求めたところ、原告は、「私の発言が不穏当であることを池田学長が確信しているならば、処分すればよいではないか。そのかわり、大東文化大学の池田学長は噂に違わず、やはりお粗末であるわい、と笑われませんかね。」と池田学長を揶揄し、「処分するならやってみろ。学長や執行部の不正を世間に暴露する。」などと威迫的言辞を弄する有様であった。

(四) 吉田学務局長らは、原告の右のような態度に閉口し、原告に対し、池田学長に報告する必要上、原告の言い分を書面で提出してほしい旨を告げたところ、原告は、同年二月一日付けで「備忘録」という表題の書面を作成して鏡就職部長に提出した。この備忘録に記載された事実は、不正入学に伴う被告学園一部理事による収賄、長期計画に伴う業者からのリベート搾取、池田学長の旅費水増問題、幹部職員の風紀紊乱の女性問題というような中傷、誹謗にわたるもので、しかも明白な証拠があるかのように装ったものであった。

その後、原告は「懇話会結成のお知らせとお願い」という表題の書面に備忘録を添付して、被告学園の理事、学園評議員及び学園教職員のほぼ全員に郵送した。

(五) 同年二月一七日及び同月二四日、原告は、被告学園内に紛争が存在するかのような印象を与える過去及び最近の新聞記事を服務時間中にコピーし、これを自ら、あるいは大東新聞無人スタンドに置く等して配付したうえ、父兄会会長に持参し、被告学園の秩序を混乱させた。

(六) 同月二四日、被告学園執行部が原告を呼んで事情を尋ねたところ、原告は、「備忘録の送付は、懇話会の活動の一環として行ったものである。懇話会は労働組合であり、学長の原告に反省を求める行為は不当労働行為であり、組合に対する弾圧である。就業時間中に学園の複写機と用紙を使用して、新聞のコピーを取り、それを配付しても、それは大学の危急存亡のおりであるから許される。」旨を主張し、公開質問状を用意している旨を述べて、被告学園執行部が反省を求めても応じなかった。

原告は、大東文化学園教職員懇話会会長広岡了哉名義で作成した同日付けの「公開質問状」という表題の文書を、被告学園理事、監事及び教職員等に送付した。公開質問状の内容は、怪文書及び備忘録と同様であり、下田事務局長代理に文書偽造、横領、背任、女性問題がある旨や、大西常務理事に横領、背任の事実がある旨の事実無根の記載が列挙されており、各項目毎に「確認を得ている」、「証言するという父兄がいる」、「証拠写真を保有し、何時でも立証するという理事がいる」などと、確信ありげに虚構されていた。

同年三月三日、被告学園執行部は、原告の事情聴取と説得を試み、それまでの態度を改めて管理職として姿勢を正すことを誓約して欲しい旨、再三説得した。しかし、原告は、「池田が学長に就任することは、学園を共産化する重大な危機であり、かかる学長を任命した鈴木理事長以下の学園執行部が存続する限り、学園は良くならない。学園を浄化するためには、学長や執行部を全員辞めさせる必要があり、その目的で、いろいろの文書を作った。自分は学園の救世主として、今後も活動を続けていく。」旨再三明言し、公開質問状についてもそのうちに新聞に出す旨述べて、反省の態度を見せなかった。

(七) その後、昭和五七年三月二七日には、右のような解雇事由に関する原告の弁解を聞くために、二度にわたって原告に出頭を求めたが、原告は出頭を拒否した。

そこで、被告学園は、昭和五七年三月三一日、原告に対し、口頭で普通解雇の意思表示をするとともに、念のため同日付けの内容証明郵便により同意思表示をし、同郵便は同年四月四日原告に到達した。

三  被告の主張に対する認否及び原告の反論

1  解雇理由について

(一) 被告の主張(一)の事実中、昭和五六年一一月一八日に綱紀粛正の件が確認されたことは知らないが、その余の事実はおおむね認める。

原告の発言は、常日頃、被告学園執行部が「皆さんの忌憚のない意見をどしどし言ってほしい。」と述べていること、当日も、池田学長及び村田常務理事が「何か言いたいことがあれば、この場で述べてみなさい。皆黙っていては会議にはならないし、どんなことでも言って、我々に注意を促していただければ大変参考になるのでありがたい。」と発言したことを前提にしたものであり、かつまた、原告の直属の上司であった鏡就職部長の絶対的な命令の下に行われたものである。そもそも、被告学園においては、学園の運営をめぐって激しい抗争が繰り返されており、怪文書問題も今回に限らず何度となく発生しており、この中には明らかに下田事務局長代理が関与したものも含まれている。そして、その都度、真相究明が叫ばれてきたが、いずれもうやむやのうちに終わっている。原告の発言は、このような経過を踏まえてなされたものであり、部下の事務職員に対してのみ綱紀粛正を叫び、自ら襟を正そうとしない被告学園執行部に対し、義憤の余りなされたものである。

(二) 被告の主張(二)の事実中、原告が申入れをしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同年一二月一八日の鏡就職部長の話の内容は、「池田学長は、原告の発言は不穏当であるから次の会議で何とか訂正しろと言ってきたが、その必要はない。逆に言い足りなかったといってやれ。」というものであった。

同月二一日の原告の発言に関する主張は、正確ではない。原告は、「学長は何でも発言しなさいと言っておきながら、藪から棒に揚げ足をとるのはなぜでしょうか。今までに公式席上で私以上の暴言を吐いたり、実名で脅迫文を書いたりした者の処分を放置しているのと比較し、余りにも不公平ではないでしょうか。」と発言し、「ヤクザとのかかわり合い」について述べただけである。その余の点は、同月七日の事務連絡会議の席上における池田学長の「何か言いたいことがあればこの場で述べてみなさい。」という発言を受けて、原告が「池田学長の三選が学則を無視して数の力を頼みに強行された。」という指摘をし、学長の見解を問うたことがあり、その際、原告が「自主、民主、独立というのは共産党の友人がいつも言っているスローガンのようだ。」と言ったにすぎない。

「ヤクザとのかかわり合い」云々の発言の趣旨は、次のとおりである。すなわち、学園内の問題について教職員を多数調査しているという秋田週間新聞社の記者と名乗る者が二度も原告の許に来て「会議での発言をやめろ。やめなければ原告のことも新聞に書くぞ。」などと脅かした。この男は一見したところヤクザ者のようで、顔に凄味をきかせ、普通の人ならおじけづいてしまうくらいであったので、「理事長はこのような男を使うことを理事会で決め、教職員多数を調査し、さらには脅迫などするべきではない。」という趣旨で発言したものである。また、広域暴力団住吉連合会幹部と自称する乙山春夫が理事会執行部と手を組み、卒業生合同会議の世話人として活動中であることも踏まえたものである。

(三) 被告の主張(三)の事実中、池田学長から吉田学務局長への指示の点は知らない。その余の事実は否認する。

原告が、池田学長その他の者から直接反省を求められた事実はない。そればかりか、昭和五七年一月二五日及び同月二六日の吉田学務局長及び鏡就職部長と原告との三者の話合いでは、吉田学務局長と鏡就職部長から、「発言を下手に取り消したりすると、何を言い出してくるか分からないので、十分気をつけた方がよい。発言をうっかり訂正するとかえって事件にされるぞ。」と念をおされたくらいである。

(四) 被告の主張(四)の事実中、原告が、同年二月一日付けで備忘録という書面を作成して、鏡就職部長へ提出したこと、被告の主張する書面が送付されたことは認める。その余の事実は否認する。

原告が右のような書面を提出したのは、鏡就職部長の命令によるものである。同部長は、同日夜、池田学長から吉田学務局長に対し報告書の提出を求める非常に強い督促が長距離電話であったことから、同学長の強い処分意思を感じ取り、右の命令をしたものである。備忘録は、金子元被告学園理事長宅で、鏡就職部長、浦郷亜細亜大学教授の指導を受けて作成され、懇話会役員会議の議決に基づき、懇話会名入りの封筒を用い、会長である広岡厚生センター部長の名前で郵送されたものである。

(五) 被告の主張(五)の事実は正確ではない。同月一七日、読売新聞社が「池田学長再選は違法」という報道をした際に、鏡就職部長が「みんなに配って見せろ。」と命令して、昭和五五年の学術会議での旅費水増し事件の報道分と併せ、二部を原告に手渡してきた。原告は、まだ新聞記事を読んでいないという同僚八名、懇話会役員数名、手洗いですれちがった福島施設係長及び名雲父兄会事務局長にコピーしたものを計二〇枚程度手渡したもので、大学新聞用スタンドに置いて配付したことはない。そして、正確には、コピーしたのは昼休み時間中であり、鏡就職部長及び広岡厚生センター部長の命令によるものである。

(六) 被告の主張(六)の事実中、昭和五七年二月二四日の事情聴取の状況はおおむね認める。ただし、就業時間中とは言っていない。

公開質問状に関する事実は認める。ただし、公開質問状は、誹謗、中傷を目的とするものではなく、金子元理事長、沖田被告学園元理事長、鏡就職部長及び懇話会に寄せられた匿名あるいは名入りの各種の投書等の情報や今までに明らかにされている問題を懇話会側で整理したものであり、学園をより良いものにするために議論を深めようとする趣旨で懇話会としてこれを学園関係者に送付したのである。また、公開質問状に記載した事実は、あくまでも疑惑として指摘したもので、必ずしも断定したものではない。

同年三月三日の事情聴取に関する事実については、事情聴取が行われたことは認めるが、その内容等は否認する。このときの事情聴取は、およそ説得というものではなく、原告は、懇話会の実態と運営方針、懇話会が学園評議員に郵送したといわれる原告の備忘録及び公開質問状の目的及び内容、懇話会運動中止の誓約書、退職勧告等々を約二時間三〇分にわたって詰問された。

(七) 被告の主張(七)の事実は認める。

2  原告の反論その一(解雇権の濫用)

仮に、原告の言動が形式的に解雇事由に該当するとしても、次のような事情を総合すると、本件解雇は解雇権の濫用に当たり無効である。

(一) 被告学園は、教育基本法及び学校教育法に従い学校その他教育機関及び研究施設を設置することを目的とする学校法人であるが、その本来の使命や理想とは程遠い内部抗争を繰り返し、たびたびマスコミを騒がせてきた。原告の行為もこうした内紛のまっただなかでの行為であり、こうした背景を抜きに論じることはできない。

たとえば、昭和五三年二月に財務担当の神立常務理事が、金銭上の不正があるとして解雇され、それが訴訟事件となり、新聞、週刊誌等にも報道されたことから内部紛争が表面化し、さらに理事が寄付金を取って裏口入学させているのは教授会の専権に属する教学権の侵害であると主張する池田学長が、教授会、教職員組合とともに理事会の退陣を求め、これに対抗して、一部の理事が、池田学長は学術会議から不正に水増しした旅費を受け取っているとの事実を新聞に売り込み、このように同学長が不正を働き被告学園の信用を傷つけたことを理由として同学長解任決議案を理事会に提出するというような抗争があった。この紛争は、昭和五五年一一月に一応の決着をみたとされているが、その後も引き続き怪文書が何度も撒かれるなど、学園の正常化には程遠い状態であった。

また、原告の行為が問題とされている昭和五六年一一月から昭和五七年にかけては、当時の池田学長再選問題で学園が激しく揺れ動いていたのである。すなわち、昭和五六年一二月一七日、学長任期満了に伴って、同月七日及び同月一四日の教授会で学長候補者の選挙が行われ、その結果に基づいて、同月一八日に池田学長が三選されたのであるが、理事の一部にこの学長候補の選挙に学則違反があるとして再任に反対する意見があり、対立を生じていた。そして、この紛争は、翌年になって少数派反対理事が文部省に監督権の発動を求める上申をしたり、裁判所に学長の職務執行停止を求める仮処分申請をしたりする一方、多数派によって、右理事が評議員兼理事の地位を解任され、これに対し、さらに地位保全の仮処分申請がされるというように拡大していった。その他にも、執行部の方針、学長、理事の人事等をめぐって幾多の訴訟事件が係属し、自己の主張を通すためにマスコミや組合までも利用しようという風潮が存在していた。

さらに、秋田週間新聞社の記者と称する一見ヤクザ風の人物が原告を含む学園職員に面会を求め、怪文書事件の犯人捜しや素行調査を行うなど、まさに学園内は騒然とした雰囲気であった。

(二) 本件で問題とされている原告の各行為は、こうした学園の状況を憂いてのやむにやまれぬ行動であった。原告は、多くの人が認めるように正義感が強く、素朴で一本気な性格であった。事件の発端となった昭和五六年一二月七日の事務連絡会議における原告の発言も、怪文書犯人の究明だけでなく、執行部も自らの襟を正して学園の正常化に努めてほしいという真情の吐露であり、原告には、私利私欲はなく、ためにする意図もなかったのである。

ただ、こうした原告の意図とは別に、原告の動きを抗争に利用しようとした動きはなかったわけではない。すなわち、本件解雇当時の学内の派閥抗争は、金子元理事長を中心とする親金子派とこれに対抗する反金子派によるものが主であった。そして、当時の原告の直属の上司であった鏡就職部長は、金子元理事長とはその教え子であった関係から親しい間柄にあったが、原告も同部長に連れられて金子宅へ出入りするようになった。そして本件解雇理由の一つにあげられている備忘録や公開質問状の作成も、こうした金子元理事長、浦郷教授、鏡就職部長あるいは広岡厚生センター部長らから情報提供を受け、同人らの示唆の下に作成、配付されたものである。同じく解雇理由の一つとされている新聞記事の学園の複写機を使ってのコピー及びその配付も鏡就職部長の指示によるものである。このように、原告は、これらの者に利用されてきたという側面が強いのである。

(三) 仮に、原告の言動に適切を欠く不穏当なものがあったとしても、これは被告学園側の対応に誘発された面が強い。たとえば、池田学長は、吉田学務局長や鏡就職部長に対し原告に不穏当発言の取消しをさせるよう指示した際、吉田学務局長や鏡就職部長が「いきなり懲戒処分ではなく、学長が原告を呼んで人生の先輩として好意的にアドバイスして指導してやってほしい。」と頼んだのに対して、「降職してやる。給料を下げて、経済的制裁を加えてやる。」などと述べ、そのことが原告に伝えられて、原告の強い反発を招いた。右発言は、最高学府の長として配慮を欠き、被告側がむしろ冷静さを書いていた証左でもある。

また、被告学園執行部による原告の事情聴取も、原告の面前に数個の録音マイクを設置し、理事会執行部のメンバーで取り囲んで、対決的雰囲気の中で詰問したもので、まさに処分するための取調べという雰囲気の下に行われた。この中でのやりとりも、池田学長が「辞めろ。辞めなければ、ワシが絶対に辞めさせてやる。」と感情的に口走り、鈴木理事長は「学園に不平や不満があれば、よそへ行って働いたらどうだ。何もここにいてもらわなくてもよい。」と発言するなど、多分に感情的なものであった。こうした雰囲気の中で、今後も執行部排撃運動を続けるとの原告の供述が誘導的に引き出されたのであって、まさに最初に処分ありきの状況であった。確かに、ここにおける原告の発言に言過ぎの感がないとはいえないが、これは、執行部の右のような冷静さを欠いた対応に触発された面が強いのである。

(四) 被告学園の就業規則には懲戒処分として、懲戒解雇のほかに、戒告、減給(本俸月額の百分の十以内を三月を限度として減ずる。)、懲戒停職(一年以内で期間中無給とする。)が定められている。いうまでもなく、解雇は労働者から生活の糧を奪うものであるから、その処分は慎重にされることを要し、他の懲戒処分をもってしても改善の見込みがないときにやむを得ず発せられるべきものである。ところが、本件では被告学園において、解雇以外の処分が真剣に検討された形跡もなく、報復的に処分が決定されている。この処分決定には五名の理事の反対があった。

本件解雇は、原告の事件に関与した他の者の処分と比べ、余りにも均衡を欠いている。たとえば、広岡厚生センター部長は、減俸(一か月の給料の百分の十)の処分を受けるにとどまっている。また、原告の一連の行動の指示者ともいうべき鏡就職部長は、その後、理事にまで昇りつめ、原告の境遇と対照的である。

原告はこれまで処分歴もなく、真面目かつ熱心に担当職務をこなしてきた。原告には妻と子一人があるが、本件解雇により生活に大変な困難をきたしている。

(五) 本件解雇に先立って原告に弁明の機会が十分に与えられず、原告と対応した被告学園職員の姿勢、態度も穏当を欠いていた。

3  原告の反論その二(不当労働行為)

本件解雇は、原告が、昭和五七年一月ころ、他の被告学園職員らとともに結成した大東文化学園教職員懇話会(以下「懇話会」という。)という名称の労働組合の活動を妨害するためにされたものであり、労組法七条一号の不当労働行為に該当する。

四  原告の反論に対する認否及び被告の再反論

1  解雇権濫用の主張について

原告の主張する事情は、すべて争う。

2  不当労働行為の主張について

懇話会が労働組合であることは、否認する。「懇話会結成のお知らせ」に記載されている同会の役員とされる者は、次のとおり、獺越秀敏を除いて、すべて被告学園の事務組織における管理者としての地位を有し、使用者である被告学園の利益代表的性格を有する。また、同会は、原告の問題が生じた後に原告に対する被告学園の処分を牽制するために結成されたものであることは明白であり、したがって、被告学園が原告の正当な組合活動を嫌って処分するということはありえない。

会長 広岡了哉:厚生センター部長

副会長 石塚繁美:情報処理センター部長代理(次長)

事務局長 原告:学務局就職部渉外課長

事務局次長 五木田栄:学務局就職部指導課長

実行委員 相原良一:大東文化大学法学部教授

同 石井勲:被告学園評議員、大東文化大学付属青桐幼稚園園長

同 鈴木謙三:大東文化大学文学部教養課程教授

同 高松鶴吉:大東文化大学経済学部教授

会計 獺越秀敏:就職部指導課課員

第三証拠《省略》

理由

一  本件解雇に至る経緯について

当事者間に争いがない事実に、《証拠省略》を総合すると、本件解雇に至る経緯は、次のとおりであると認められる。

1  被告学園は、学校その他の教育及び研究施設を設置することを目的とする学校法人であり、その役員として一四人以上一九人以内の理事、理事の互選による理事長、理事長の指名による三人以内の常務理事が置かれている。そして、理事をもって組織する理事会が理事長を議長として法人としての業務の決定を行うものとされており、理事会によって業務を審議するために理事長、学長、常務理事、職員たる理事によって構成される常務審議会が置かれている。また、三三人以上四〇人以内の評議員をもって組織する評議員会が置かれ、予算、寄付行為の変更その他被告学園の業務に関する重要事項について理事長が諮問すべき機関とされている。さらに、被告学園においては、学園執行部が課長以上の管理職を集めて学園業務の趣旨や執行方針についての説明、打合せ等のために事務連絡会議が行われており、学長もこれに出席していた。さらに、被告学園の事務組織上、被告学園の設置する学校の事務を処理するために事務局、大東文化大学学務局、各学校の事務室等が置かれ、事務局の事務を統括する事務局長は理事長の指揮を受け、大学学務局の事務を統括する学務局長は学長に指揮される関係とされている。

原告は、昭和四七年一〇月一日付けで被告学園に雇用され、事務課長、管理部付課長、管財課長等を経て、昭和五六年五月一一日以来、学務局就職部渉外課長の職にあった。

2  昭和五六年春ころから同年一一月ころにかけて、被告学園理事、評議員及び教職員並びに日本私学振興財団、埼玉県庁、埼玉県東松山市役所等の外部関係団体に宛てて、被告学園の理事である下田事務局長代理が地位を悪用して多くの不正、非行を行っているので、被告学園から追放すべきである旨の匿名のいわゆる怪文書が多数送付されるという事件があり、被告学園の理事会においても、この怪文書問題に対する対策が協議されたが、怪文書の内容や添付書類の性質から、怪文書の作成者は被告学園事務職員の中にいると推測された。

そこで、鈴木理事長(昭和五六年四月以来被告学園理事長)は、同年一一月一六日の事務連絡会議において「最近、学園内外に学園の秩序を混乱させるような文書が配付されていることは、遺憾である。かかる行為者に対しては、判明次第、学園の綱紀粛正上しかるべき処置をとることになると思う。学園職員の中にそのような人がいるとは考えたくないが、もし、いるとすれば今後慎んでほしい。」旨の発言をした。そして、同月一八日の被告学園理事会において、日本私学振興財団に送付されて宛名違いで被告学園に返送されてきた被告学園名義の封書を開封したところ、前記怪文書が同封されていたことなどが報告され、怪文書に関する調査を行うべきこと、その方法については学園執行部に一任することが決議された。

3  こうした事態のもとで、原告は、同年一二月七日に行われた事務連絡会議(鈴木理事長は欠席、村田常務理事が議長)の席上、「鈴木理事長は、あたかもヤクザが居直った顔つきで、綱紀粛正だとかいろいろ言っているが、他にもやっている者がいる。その綱紀粛正はどうするのか。」などと発言した。

このため、池田学長は、同月一七日、吉田学務局長に対し、原告の上司である鏡就職部長を通して、次回の事務連絡会議において、原告に右発言の取消しをさせるよう指示した。同部長は原告に池田学長の意向を伝えたが、原告はこれに従わず、かえって、次の事務連絡会議である同月二一日の同会議の席上、「前回の事務連絡会議ではむしろ言い足りなかった。池田学長は数の力で学長になった。学長は何でも発言しなさいといっておきながら、発言すると揚げ足をとるのは汚いやり方だ。最近改めて調べてみると、鈴木理事長はヤクザとのかかわり合いもある。」などと発言した。

4  同月一七日の理事会においては、池田末利を次期学長に再度任命する議案に関して、合同教授会での学長推薦選出手続が規定どおりに行われていない旨の主張が出されて議論になったが、結局同会議中で賛成多数で可決された。その際、反対理事から、採決強行によって起こる紛争、混乱についてあらかじめ覚悟しておくようになどの発言がなされたが、鈴木理事長は、同月一八日付けで、右決議に基づき池田末利を学長に任命した。また、昭和五七年に入って、被告学園に、石塚情報処理センター部長代理、広岡厚生センター部長及び原告の連名で、昭和五六年一一月一六日の事務連絡会議における鈴木理事長の綱紀粛正という発言を逆手にとらえて、下田事務局長代理らによる昭和五五年一一月一四日付け文書及び昭和五六年一月三〇日付け文書こそが怪文書であるとして常務審議会等で厳罰にしてほしい旨記載した昭和五七年一月七日付けの上申書が提出され、同日に同大学の会議室で行われた年始のパーティーの際には、市田管理課長が原告に傷害を負わせる事件も発生した。

5  昭和五七年一月二一日、池田学長は、吉田学務局長及び鏡就職部長に対し、前記の二度にわたる事務連絡会議における原告の発言は学長や理事長を誹謗する不穏当なものであるとして、それを取り消すよう原告を指導してその結果を報告書として報告するように指示した。これに対して、吉田学務局長と鏡就職部長は、そのような指導、報告は学務局長や就職部長の担当業務の範囲外の問題であるとして、学長自身が原告を呼んでアドバイスなり指導なりをしてほしい旨頼んだが、聞き入れられなかった。

そこで、吉田学務局長と鏡就職部長は、同月二五日、原告に対し、池田学長の意向を伝えるとともに、「発言をあっさり取り消し、別途自己の考えを述べたらよいではないか。」などと説得した。しかし、原告は、逆に「学長は、吉田局長や鏡部長を責めて私に謝らせようとしないで、直接常務審議会に呼んで弾劾すればよいではないか。私にも覚悟があり、学長や一部理事の不正行為を司直の手に委ねて暴露する。今では、それがむしろ私の願望である。」旨述べて、吉田学務局長と鏡就職部長の説得に従わなかった。

吉田学務局長と鏡就職部長は、さらに同月二六日、前日同様、原告の説得を試みたが、原告は、「私の発言が不穏当であることを池田学長が確信しているならば、処分すればよいではないか。そのかわり、大東文化大学の池田学長は噂に違わず、やはりお粗末であるわい、と笑われませんかね。処分するなら、学長や執行部の不正を世間に暴露する。」などと述べて応じなかった。

6  こうした経過から、板挟みとなった吉田学務局長と鏡就職部長は、自分たちが紛争に直接巻き込まれることを危惧し、自らの意見を付した報告書を作成することはせず、原告自身に言い分を書かせてこれを池田学長に推達するにとどめようと考え、原告に対し、「池田学長に報告する必要上、言い分を書面で提出してほしい。」旨を告げた。

これを受けて原告は、同年二月一日付けの「備忘録」と題する書面を作成して鏡就職部長に提出し、鏡就職部長は、この備忘録に「原告の見解は別紙のとおりである。」旨の報告書を添付して吉田学務局長に提出し、吉田学務局長は、これに報告書進達という表題の同月九日付け書面を添付して池田学長に提出した。

備忘録の内容は、不穏当とされた原告の発言について、鈴木理事長とヤクザとのかかわりには根拠があるとか、二度目の事務連絡会議での発言は、理事長、学長らが忌憚のない意見を述べてほしいと言っているのを受けたもので、従来の公式の席上で自分以上の暴言を吐いた者がいるのに、その処分を放置したままで、今回の発言を取り上げるのは矛盾だなどと主張するものであり、さらに、池田学長ら被告学園執行部の発言の様子から判断して市田管理課長による暴行は教唆されたものだと考えられるとか、原告の発言に関して吉田学務局長や鏡就職部長の管理責任を問題にするのであれば、市田管理課長に対する管理責任が管理課長、事務局長代理、理事長に及び、ひいては、罪と罰との軽重で論議が沸騰し、被告学園内の不正行為等の問題に発展するとして、具体的に被告学園にかかわる不正経理、不正入学に伴う収賄、リベート収受等の不正行為なるものを指摘し、吉田学務局長と鏡就職部長に対して、池田学長、村田常務理事、大西常務理事、下田事務局長代理らの不正疑惑をとことんまで解明したいと話したとか、原告の発言が不穏当だというのであれば、原告を処分してみせてほしい、そうすれば、まってましたとばかりに即刻地位保全と名誉毀損の訴訟を起こすばかりか、学長及び執行部の不正をあえて世間に暴露する決意であると返答した旨記載されており、池田学長初め被告学園執行部との対決姿勢を明確にしたものであった。

そしてさらに、同月中頃には、原告は、「懇話会結成のお知らせとお願い」と題する大東文化学園教職員懇話会会長広岡了哉名義の書面に前記進達文書に添付された備忘録の写しを付けて、被告学園の理事、学園評議員及び学園教職員のほぼ全員(約四〇〇名)に送付した。

7  おりから、前記学長任命を巡る理事間の意見の対立を背景として、反対理事から、文部大臣に対して鈴木理事長による池田学長任命は無効不当なものであるとして監督指導を求める上申がなされるとともに、東京地方裁判所に池田学長の職務執行停止の仮処分申請がなされたため、被告学園においては、同月一七日、緊急に評議員会が開催され、当該理事に対する理事辞任勧告決議及び解任決議がなされるという状況下にあった。

8  原告は、その前後である同月一七日及び同月二四日、「池田学長再選は違法、大東文化大理事の一部、職務執行停止の仮処分申請」という見出しの昭和五七年二月一七日付けの読売新聞の記事と「池田学長やめなさい、理事会が勧告決議、大東大『水増し旅費』で内紛激化」という見出しの昭和五五年六月二九日付けの同新聞の記事の切抜きを並べてコピーした写しを作成し、約三〇枚を学内で配付した。

9  同月一七日のコピー配布の後、同月二二日に被告学園常務審議会が開かれ、原告の前記不穏当発言やその後提出された前記備忘録の問題、さらに前記懇話会名義の書面や新聞切抜きのコピーの配布について被告学園執行部で調査した点が報告され、議論された後、懇話会会長広岡厚生センター部長から懇話会名義の文書の送付に関与した事情等が、吉田学務局長や鏡就職部長から右文書に同学務局長らの進達文書の写しも添付されていた事情等がそれぞれ聴取された。

10  同月二四日、被告学園執行部は、原告を呼んで、懇話会及び新聞写し配付について事情を聴取した。原告は「備忘録を評議員等に送付したことは認めるが、これは懇話会の活動の一環として行ったものである。懇話会は労働組合であり、学長の原告に反省を求める行為は不当労働行為である。学園の複写機と用紙を利用して新聞のコピーを取り、それを配付しても、それは大学の危急存亡のおりであるから許される。」旨を主張し、「公開質問状ができているんですが、今日、常務審議会かと思って用意してきたんですけど、とにかく身勝手なことは慎んだほうがいいと思いますよ。」などと発言した。

原告が右に引用した公開質問状とは、前記懇話会会長広岡了哉名義のもので、備忘録記載のいわゆる不正行為をさらに具体化し、下田事務局長代理には贈収賄、背任、横領、文書偽造、女性問題等の、大西常務理事には収賄、横領、背任の事実がある旨の記載が列挙されており、各項目毎に、「確認を得ている」、「証言するという父兄がいる」、「証拠写真を保有し、何時でも立証するという理事がいる」などと、確たる根拠があるかのような記載が付され、一部には資料として学園内部の文書や出所不明の文書が添付されていたが、結局、その後の経過を含めて、そのうち一つも不正行為として具体的に立証されたことがなかった。

そして、原告は、そのころ、右公開質問状を学園理事、監事及び教職員等約五〇名に送付した。

11  同月三日、被告学園執行部は、原告の事情聴取と説得を試みた。しかし、原告は一連の自己の言動の事実を認めながらも、それは学園が危急存亡の事態にあるという認識の下に行った正当なものである旨強調し、公開質問状はそのうち新聞に出すとか、備忘録や公開質問状記載の事実の根拠資料の有無の質問に対しては疑惑として書いてあるだけだとか、訴訟ではっきりさせたらよいなどと述べた。そして、原告は、鈴木理事長から、「被告学園には秩序を保持する必要がある。従来の言行について反省し、職場での一定のルールの中で良識のある学園の職員として勤めることを誓約していただけないか。」と問われたのに対してもこれを拒否し、鏡就職部長が「それはしなきゃだめだよ。」と取り成そうとしても、逆に「処分の文書を下さいよ。」と答えた。

なるほど、右事情聴取の状況は、被告学園執行部が録音機を用意して原告を囲んで行われ、一部、原告の批判の矛先とされた理事長らが原告に反論したり、原告を詰問したりするやりとりもあったが、鈴木理事長らの基本的態度は、原告が発言の不穏当などを認め、常識的な行動をとることを約束してほしいというものであり、しかも、鏡就職部長が、原告の真意は、被告学園執行部に対する不信任というところにあるのではなく、原告の正義感が通常と異なった発現の仕方をしているのだなどとしきりに原告を弁護しようとする場面もあった。しかしながら、これに対して、原告は、終始、被告学園による処分ないし解雇を前提として、被告学園の正常化のためにはあくまで現執行部を退陣させる必要があると言明するなどして現執行部に対する敵対の姿勢を一層明確にし、これに対する排撃行為を行う意思のあることをすら表明し、最終段階で、村田常務理事から、不満があるなら理事長や学長等に直接ぶつけるようにして外部に文書を出し続けるようなことは考え直すようにと諄々と説得されたのに対しても下田事務局長代理に対する不満を言い募るばかりであった。

12  同月一八日、池田学長は、原告に対して懲戒解雇またはこれに準ずる処分を取るべき旨の上申書を鈴木理事長宛に提出した。

13  同月二七日、被告学園は、被告学園就業規則三一条に基づき、常務審議会での弁明の機会として同月二九日の同審議会に出席するよう原告、広岡厚生センター部長及び石塚情報処理センター部長代理に通知した。しかし、原告らは、当日、右常務審議会への出頭を拒否し、再度、同日午後四時までに出頭するよう求められたが、結局出頭しなかった。同日、常務審議会は、原告の処遇は理事会に諮って結論を出すこととした。

14  同月三〇日、被告学園は、理事会において、原告の言動は懲戒解雇事由に当たると判断したが、原告の将来を考慮して、原告に一応任意退職を勧告し、これに応じないときには普通解雇にすることを決定した。

同日、被告学園執行部は、原告に対し任意退職を勧告したが、原告がこれを拒否したので、それでは解雇すると述べ、あらためて翌三一日、原告を理事長室に呼んで、鈴木理事長から原告に対して普通解雇の意思表示をし、解雇辞令を交付しようとしたが、原告は解雇の理由を尋ねて解雇事由記載の書面の読み上げを聞いたものの、右辞令の受領を拒否した。そこで、被告学園は、念のため、原告に対し、右解雇の趣旨を記載した同日付の内容証明郵便を発送し、同郵便は、同年四月四日、原告に到達した。

以上を要するに、原告は、被告学園学務局就職部渉外課長の職にありながら、後にも結局立証されなかった幹部職員の不正行為なるものを指弾するいわゆる怪文書が被告学園の封筒で多数発出されるという事態の中で、これに対する調査を行うという被告学園執行部の方針に反対して、右怪文書で指摘されているような不正行為の存否についての調査、処罰が先決であると強調したが、そのような主張をするに際して、鈴木理事長がヤクザが居直った顔つきで発言したとか、池田学長が数の力で学長になった、何でも発言しなさいと言っておきながら揚げ足をとっているのは汚いやり方だなどと述べ、右のような発言が被告学園職員として品位を欠く不穏当なものであると指摘されても、これを無視し、かえって、右発言には根拠があると強弁してみたり、さらには池田学長及び被告学園執行部の不正を世間に暴露する決意であるなどと池田学長初め被告学園執行部に対する敵対姿勢を示し、十分な根拠の有無を確かめもせず前記怪文書記載と同様の疑惑なるものを逐一具体的に記載した備忘録なる書面を被告学園のみならず関係者多数に送付するなどし、被告学園執行部の事情聴取に対して、遂には、被告による処分を自ら求めて右不正を訴訟手続の中で明らかにするなどと言明し、被告学園執行部に対する敵対姿勢を一層明確にして被告学園執行部の排撃行為を行う意思のあることをすら言明するに至り、ここに至って、被告学園により普通解雇されたものである。

なお、このような解雇に至る経過に関して、原告がるる弁明する点について付言するに、まず、原告は、昭和五六年一二月七日の事務連絡会議の席上での発言が不穏当とされた点について、池田学長らが何でも発言してよいと言ったのを受けて出た言葉だと主張するが、言葉の内容からしてそれが品位を欠く誹謗、中傷に当たるとされるのは当然のことであり、同学長らがそのような発言を許容する趣旨で何でも発言してよいと言ったなどと解する余地はない。また、原告は、この発言が鏡就職部長の絶対的な命令によるものであると主張するが、《証拠省略》中の右主張に副う部分は前掲各証拠に照らして到底採用し得ない。次に、原告は、同月二一日の事務連絡会議の席上で、「鈴木理事長はヤクザとかかわり合いがある。」旨発言したことには根拠があるかのように主張するが、右かかわり合いなるものの具体的内容は本件全証拠によっても明らかでなく、原告の発言は、確たる裏付けのない独断に基づいたものというべきである。さらに、原告は、右発言を取り消さなかったのは、吉田学務局長と鏡就職部長から発言を下手に取り消したりしない方がよいと言われたからであると主張するが、右主張に副う《証拠省略》は前掲各証拠に照らして採用できない。他に、原告は、新聞記事写しの配付は鏡就職部長に指示されて行ったものである旨主張するけれども、右主張に副う《証拠省略》は前掲各証拠に照らしても採用できない。

二  解雇理由の存否について

《証拠省略》によると、被告学園就業規則二二条二項は、同条一項の任意退職の場合のほか、退職・解雇に関する事項を別に定めるとし、これを受けて、被告学園職員任免規則二四条が「学園の都合によりやむを得ないとき」職員を解任する旨定めていることが認められるところ、前記認定のような経緯の中で、原告は、被告学園執行部に敵対する態度を継続し、さらに一層強めつつ、これを排撃する意思を表明するに至っていたものであるから、原告に右普通解雇事由があることは明らかである。

三  解雇権濫用の主張について

原告は、仮に解雇事由があるとしても本件解雇は解雇権の濫用に当たり無効であると主張する。なるほど、前記認定事実に《証拠省略》を総合すると、原告は、本件解雇に至るまで他に懲戒処分を受けたことはなかったこと、被告学園に就職後、係長、課長と昇進し、本件解雇当時就職部渉外課長の職にあって部下をもつ立場を任されており、勤務成績自体には特に問題はなかったこと、原告とともに公開質問状の作成にかかわった広岡厚生センター部長及び石塚情報処理センター部長代理は一か月の減給処分を受けたにとどまったこと、原告は本件解雇当時四七歳で、妻と小学生の子供一人を扶養していたこと、被告学園内部では、上層部において従前から複雑な人的対立、紛争が続いたり、しばしば怪文書が撒かれたりしており、原告の言動がそのような異様な雰囲気に触発され、あるいは理事者間の対立抗争に利用しようとされた面も窺われること、被告学園側の一部の対応には原告に対する対決姿勢がみられなくはないことが認められる。

しかしながら、原告の対内的な被告学園執行部に対する敵対、排撃の言動は、被告学園組織の秩序を著しく乱すものといわざるを得ず、また、原告が被告学園理事、評議員等多数の関係者に送付した文書には、確たる裏付けもないのに被告学園の名誉を甚だしく損ねかねない内容が記載されており、このようなことを放置すれば被告学園内の秩序、規律が崩壊しているとみられるに至ることも十分予想され、しかも、原告の被告学園執行部に対する敵対、排撃の態度は、数か月もの間継続的に行われ、さらに次第に拡大する方向に向かっていたことに鑑みると、本件解雇の段階で、被告学園がもはや被告学園内の秩序維持のためには、原告を被告学園職員として留めておくことができないと判断したことには、無理からぬものがある。したがって、右認定の事情を考慮してみても、本件解雇に解雇権濫用にわたる点はないというべきである。

四  不当労働行為の主張について

原告は、解雇事由とされた中傷文書や新聞記事写しの配付は、すべて労働組合である前記懇話会の活動として行われたものであり、本件解雇は、労働組合の活動をしたことを理由とするもので、不当労働行為に当たるから無効である旨主張する。

しかし、被告学園が問題とした原告の一連の言動は、およそ労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを目的とした労働組合の正当な活動とみる余地のおよそないものであり、この点からして、そもそも右主張は失当というべきである。

のみならず、右懇話会そのものの性質について、それを労働組合と認めるに足りる証拠がない。すなわち、《証拠省略》によれば、なるほど、右懇話会の規約には被告学園教職員を会員とし、その労働条件の維持改善、経済的社会的地位の向上を目的とすると記載されていること、同会として、賃金引上げ等を要望する旨の簡単な記載のある書面を被告学園人事課長に渡したことがあることが認められる。しかし、《証拠省略》によれば、同会の会員は一人を除いて課長以上の職にあり、管理職に当たる者が相当割合を占めていること、結成の当初の目的は学園内の正常化であって、労働条件の改善等の目的は後になって付け加えられたこと、右の人事課長への書面交付を除き、現在に至るまで団体交渉その他の労働組合としての具体的な活動はまったく行っていないこと、同会の実態は、被告学園執行部等に反発する者が、これを牽制するために集った団体であったことが認められ(る)。《証拠判断省略》これらの事実に照らすと、右規約上の体裁や賃上げ要望書の提出の事実のみをもって懇話会を労働組合と認めることはできない。

したがって、原告の不当労働行為の主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

五  賃金請求について

前記認定事実によれば、原告は、昭和五七年三月三一日、被告学園から有効に普通解雇されたものと認められるところ、右解雇の意思表示に際して解雇予告手当が提供されたことは、本件において主張、立証がない。したがって、原告は、右同日の翌日から労働基準法二〇条所定の三〇日間を経た同年四月三〇日の終了をもって被告学園の従業員としての地位を喪失したが、右同日までは被告学園の従業員たる地位を有していたものと認められる。そうすると、被告学園には、原告に対し、原告が請求する昭和五七年四月一日からの賃金中、同月三〇日までの賃金三一万四六〇四円を支払うべき義務がある。

六  結論

以上のとおりであるから、原告の賃金請求は、右未払賃金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条但書を、仮執行宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 相良朋紀 裁判官 松本光一郎 岡田健)

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